東京大空襲

東京大空襲の頃の市民の生活は戦争一辺倒でした。なんでも、お国にためでした。国のいうことが、全て正しいと信じて行動するのが、優秀な国民だといわれていました。国は戦争には、必ず勝つといっていて、国民は神社に、足繁く参拝して「必勝祈願」をするように奨励しました。

国はまた、空襲に対する備えを指導し、住民を集めて訓練もしましたが、この方法は、いろいろと疑問が生じる方法でした。この疑問をハッキリ口に出すと、警察から声がかかるので、みんな黙って従っていました。そして、いざ空襲になったら、防空壕に入って、ジットしていて、敵機が飛び去るのを、待つだけでした。

一方空襲から逃れるために国は疎開(移住)を奨励しました。普通は家族単位の疎開ですが、学校単位の疎開も、国が先にたって、推進しました。これは空襲の被害が多くなると、予想された大都市や、工業地帯の国民学校の生徒が、対象でした。学校単位で疎開したので、子供達の親は付添っていません。子供達は、身の回りのことは、何から何まで自分でしなければ、なりませんでした。さらに、食事の準備や、風呂焚きなどの、共同作業も待っていました。戦争が終って自宅に帰った子供の中には、苛酷な運命が待っていました。

最後の書いたのは、空襲のなかでも、特異な事件として、東京の近郊で、旅客列車が銃撃された事件です。やっと動き出した車内で、乗客が昼食を食べ始めたときに、攻撃されたのです。